生まれた世代が背負う宿命というものがある。例えば僕が生まれた70年代中盤は、女子大生ブームと女子高生ブームに挟まれ、同級生の女子たちは、高校時代は虎視眈々たとモテモテの女子大生を夢見、その女子大生になった時にはルーズソックスの女子校生たちからオバさん扱いとなった。バブルの夢の跡、遅れてきた世代と言えるかもしれない。 ここのところ、五十嵐貴久『六つの希望』そして本作と、政治的な内容を含む物語に続けて出会った。室積光は55年生まれ、五十嵐貴久は61年の生まれのようだ。彼らの前にはいつも偉大なる団塊の世代が立ちはだかっていた。熱狂と狂騒に満ちた世代のお祭りの跡、彼らもまた遅れてきた世代なのかもしれない。この国は団塊の世代が動かしているといってもいいかもしれない。かの世代の成長とともに、日本は成長し失速し立ち直り衰退しようとしている。今、そのバトンがやっと渡される時期がやってきたのかもしれない。
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