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コリントの信徒への手紙Ⅱ 6章1~13節

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<わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。(1.2節)> 「パウロは主イエスの復活によって与えられた恵みによって歩んできた『神に仕える者』としての自分の人生を振り返ります。『苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓』など多くの苦難と労苦が数え挙げられております。」と南牧師は書き出される。 連日の暑さに昼間は横になって読書するしかない。フランクルの「夜と霧」はまだ前書きの所だけれどそこを読むだけで圧倒される。人間の体にはこれほど残虐な行為ができる細胞があり、自分にも何かの拍子にそれが顔を出す時があるのかもしれないと思った。 先日読んだ「福音と世界 6月号」で関連個所があった。ウォルター・ウインク著「イエスと非暴力」の中で、悪に対抗する手段としてイエスがとった道は、無抵抗でも暴力でもなく、第三の道「あなたの敵を愛せよ」であったと述べている。 自分の中に存在する殺人者、卑怯者といった暗黒の部分を認め、そしてそれは人類史が記録する野蛮な現実であることを指摘しつつ、イエスの第三の道はそのような「自分の魂の中にある暴力性を根こそぎ引き抜くことを私たちに求めるもの」であると紹介されていた。 Iさんは、礼拝は休みがちだったが教会生活は長い。この頃は祈祷会に来られるようになり、はじめは皆で歓迎していたのだが、勝手な聖書解釈や牧師批判を繰り返されて、豊かな気持ちになる祈祷会がそうでなくなってきた。Iさんが来なければいいのに・・・と思ってしまう。その思いこそ「教会の暴力」だと指摘されている。主イエスなら彼を愛し救われるだろうと。 また、このことを紹介された久米淳嗣氏は震災後地元で「放射能から子供たちを守る会」を立ち上げ、子供たちを内部被爆から守ろうと東北産の食材を必要以上否定し続けた。それは間違ってはいなかったけれど、生産者の努力や思いを切り捨て差別していた自分に気付かされた。放射能という暴力に立ち向かいながら、気付けば自らが暴力を振るっていたのだと体験談を載せられている。 パウロはあらゆる暴力に「純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によって」忍耐したと記している。パウロは完璧にイエスの第三の道を取ることができた。それは、パウロが誰よりも偉大だからではなく、どこまでも神の力を頼みとする信仰が「神から恵みとして頂いていた」からだと南牧師は説かれている。 その恵みは、パウロだけのものではなく、主の名を呼ぶ人には誰にでも与えられる。


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