この現代日本で、お金を持たずに生活していくにはどうすればいいか?例えば宗教家のような生活が考えられます。『ムトゥ踊るマハラジャ』には樹の下で生活している聖者が出てきますが、聖者は徳が高いので何一つ持たなくとも信者からの施しで生きていくことができます。武者小路実篤『真理先生』もまた、そうした周囲の人々の好意によって生活を成り立たせている存在でした。
この生き方を現代風に成り立たせているのがこの物語の主人公・詩羽です。詩羽は周囲の人達に親切にすることで食事も寝る場所も服も確保していて、自分では何も持っていません。様々な個性を持つ人を詩羽という個性が結びつけることで詩羽の住む賀来野市の住民が皆幸せになっていくという「詩羽システム」を成立させることで詩羽の生活が成り立っていて、詩羽自身は市民の触媒のような存在として生きています。
こういう人が一人くらいいても面白いかもな、と思うのですが、この生き方を貫くには他人が何を求めているのか見抜く高い能力が必要で、しかも自分自身は物欲も所有欲もない人間でなくてはなりません。実際、この物語では詩羽は非常に頭が良く、会話も巧みで人に喜んでもらえることを生きがいとしているキャラクターとして造形されているのですが、これはいわば現代の「聖者」でしょう。
しかし詩羽には歴史上の聖者とは違う、ある種の生々しさがあります。詩羽は自分の作り上げた親切のシステムに巻き込むために登場人物を「デート」に誘うのですが、ここでは詩羽が若い女性であるという強みを生かしています。詩羽自身も「この仕事をしていると恋愛ができなくなるのが淋しい」と言っていて、人並みの欲求を持っている一面も垣間見ることができます。俗人としての一面も見せることで、詩羽のシステムを胡散臭い新興宗教と区別することに成功しています。
難点があるとすれば、時として登場人物の中に山本さんの主張が強く出てきすぎるところです。作品中である漫画をあれは説教臭い、作者の生の声が出すぎてると批判するところがありますが、この作品にもそういうところがあります。私は山本さんのブログや他の作品などで山本さんの考えをよく知っているので特に違和感は感じませんでしたが、これを最初に読む人はアニメや漫画、表現規制やネットデマについて登場人物がしゃべることに違和感を感じることもあるかもしれません。
そのような瑕疵はありつつも、全体としては楽しく読める物語になっていると思います。作中で多くの本が紹介されていて、巻末にノンフィクションや小説・漫画などジャンル別に参考資料として紹介されているのも嬉しいところ。クラークの小説は中学生でも読める内容だと作中で紹介されていたので、今後読んでみようかと思いました。
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