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大いなる探求 経済学を創造した天才たち 上巻/シルヴィア・ナサー

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DSC_0083.JPG 【大いなる探求 経済学を創造した天才たち 上巻/シルヴィア・ナサー/13年6月初版】 「エマ」というマンガをご存知でしょうか。19世紀末、産業革命以後のヴィクトリア朝ロンドンを舞台にした、メイドと貴族の身分違いの恋を描いたラブロマンスです。恋愛モノがお好きな人には(きらいな人はあんまりいないと思うけど)、お薦めのマンガです。 エマと同時代の経済学を創造した天才たちのストーリーです。もちろん彼らの生い立ちやロマンスが盛り込まれています。よく調べてある。上巻はマルクスとエンゲルス、マーシャル、ウェッブ夫妻、フィッシャー、シュンペーターの話。前に読んだ「経済学者の栄光と敗北/東谷暁 」はケインズ以降でしたが、この上巻はマルクスからケインズまでです。下巻は未読ですが、ハイエクやサミュエルソンあたりは東谷氏の本とかぶります。読み比べてみるのも乙かもしれません。 19世紀半ばからの60年間の経済思想の大きな流れを本書から簡単に要約します。 まず小説家のディケンズ、ジャーナリストのメイヒュー、哲学者のマルクスが、人類を貧困に縛り付けてきた物質的条件が、昔ほど固定的でなく変形させることも可能になりつつあることを描き出します。特にマルクスは1848年の「共産主義宣言」で企業は同じ資源の投入によってより多くを生み出すが、労働者の賃金は増えないと論じます。 1880年代にはアルフレッド・マーシャルが、企業間の競争がより高い賃金とより安い製品価格という形で社会に還元されることを発見します。人々は生産性を上げることで個人的にも集団としても経済環境を好転させることができると。 ベアトリス・ウェッブは本書のハイライトです。鉄道王の娘でロンドンの社交界と思想をリードし、シンクタンクの先駆者であり、福祉国家の概念を生み出します。第二次大戦後のイギリスの福祉国家の設計は「私たち全員がウェッブ夫妻から吸収した思想から芽生えたものだ」と、福祉国家の青写真を作成したウィリアムベバリッジは晩年に告白しています。チャーチルはベアトリスの家に何度も招かれ、ベアトリスの尊大さに辟易しながらも自分の無知さに気づき、「起きている間は政府白書を読み漁り、ベッドに入ってからは百科事典を読みふける」生活に改めました。 一方で社会学者のジョン・スチュワート・ミルは、福祉国家はやがて全税収を吸い尽くすと主張し、マルクスは福祉国家は不合理な推論だと批判しました。 アーヴィンフィッシャーは、通貨が実体経済に甚大な影響を及ぼしうるということ、政府が通貨供給を改善することで経済の安定性を強めることができるということを、最初に見抜いた経済学者でした。 以下にその他の読書メモを。 <マルクスとエンゲルス> マルクスはエンゲルスと同じく、ブルジョワ階級の父のもとに生まれた放蕩息子だった。浪費家であるという点も、知識人だったという点も共通している。また2人ともヨーロッパにおけるドイツの知的、文化的優位を信じており、同時に強烈なフランスかぶれで、イギリスの富と国力に反感を抱いていた。 だがマルクスは多くの点でエンゲルスと好対象でもあった。エンゲルスの饒舌さ、豊かな順応性、陽気な人柄などとはマルクスは無縁だった。マルクスは議論で相手を圧しないと気が済まず、性急で生真面目だった。マルクスはエンゲルスより2つ半年上なだけだったが、すでに結婚して赤ん坊の娘までいて、哲学の博士号を取得済みで、会う人に対して自分を「マルクス博士」と呼ぶよう主張して譲らなかった。 エンゲルスは何をするにも手際よく、実際的だった。一方マルクスは「事務をとった経験がなく」「生身の人間と商取引を行なった試しがなかった」。エンゲルスはいつでも両袖をまくり上げて執筆に取りかかることが可能だったが、マルクスはたいがいの場合、カフェでワインを飲みながら、ロシア貴族やドイツの詩人、フランスの社会主義者などと議論をして時間をつぶしていた。 <マルクスの家計> マルクスの家計は財政難と改善を繰り返す。基本的にはパトロンはエンゲルスだった。1862年にNYトリビューン紙の連載を失った時の収入源は強烈で、やむをえず鉄道会社の事務員になろうとした。しかし字が汚い、英語が話せないという理由で就職に失敗した。 その1~2年後にはマルクス家の経済状況は改善する。予想もしない遺産相続が何件か発生したのに加えエンゲルスが毎年375ポンドの資金援助をしてくれるようになったのだ。その後マルクス家の年間支出は500ポンドから600ポンドの水準にあったが、これは当時のイギリスの最富裕の2%に入れる数字である。 <アルフレッド・マーシャルのデータベース> マーシャルは集めた情報を整理し、自分専用のデータベースから情報を取り出す方法を独自に開発する。糸で縫い合わせた自家製のノート、「赤い手帳」がそれで、各ページに音楽や技術から賃金水準にいたるまでの様々なデータが、時系列に沿って記入されていたのである。どれかのページの、どれかの事項を選べば、同じ時期に他の領域では何が起きていたのかが、一目でわかるようになっていた。 <19世紀後半のロンドンのシーズン>・・エマを読むと一目瞭然ですが。 毎年3月になると上流社会の1万人がロンドンに殺到する。ロンドンの社交の季節、「シーズン」が始まる。およそ3~4ヶ月間、イギリスの上流階級は首都に滞在して、手の込んだ縁結びの儀式を繰り返すことになる。午前中は乗馬を楽しむことに費やし、午後には男性は議会議事堂か社交クラブに通い、その妻と娘は買い物と知人の邸宅の訪問に興じる。夕べになると、市内のあちこちで開催されるオペラや晩餐会や舞踏会に上流人士とその妻や娘が詰めかけ、豪華に着飾った様を見せびらかし合うのだった。議会の開会に合わせて始まる毎年のシーズンの期間中、ロンドンは国際的な婚姻市場の中心地となるのである。 裕福な夫婦は息子をオックスブリッジで学ばせるのと同じ調子で、娘にロンドンのシーズンを2~3回経験させたいと考えた。ロンドン市内に屋敷を持たない上流家族は、堂々たる館を見つけて借り、高価な品々を大量に購入してその館に運び、大勢の召使を雇い、社交活動を行なう。シーズン中、適当な結婚相手を探すための「踊り」に参加するための努力と費用は、オックスブリッジを卒業するのに必要な費用に匹敵するものだった。 <結核とフィッシャー> 結核は19世紀版のAIDSだった。20世紀初頭においては、大都市における死亡事例の3件に1件は結核による衰弱が原因で、犠牲者のほとんどが少年少女だった。結核に罹患したと知った者は、それがもとで職を失うことや、社会のつまはじきにされることに怯えなくてはならなかった。アーヴィン・フィッシャーは31歳で結核にかかり6年後に健康を完全に回復した。 結核から回復した後のフィッシャーは、凄まじいまでの創造性を発揮するようになった。彼は療養生活の間、インド哲学の書を読み、瞑想もするようになっていたのだが、そうやって芽生えた考えの数々を、健康になってからの5~6年の間に次々と発表していった。 <エジプト> 19世紀末から20世紀初頭にかけての世界経済におけるエジプトは、今日の中国に相当する存在だった。急成長を遂げる巨大新興国だったのだ。エジプトがオスマントルコの属州からイギリスの保護国へ変質した後、アメリカの南北戦争が世界的な綿花不足をもたらした。エジプトの支配者イスマイルはこの機会を捉えて、エジプト全体を巨大な国営綿花プランテーションに改造しようとした。そしてイギリスとインドの間の貿易量が増大していることを知ったイスマイルは、スエズ運河の建設に着手する。融資の形で巨額の投資資金がエジプトへ流れ込んだ。 その後巨大プロジェクト数々は継続不能であることが明らかになり、イスマイルは6年後に破産状態となった。スエズ運河株式の44%の売却を強いられ、エジプト政府を債権者の管理下に置く事になった。歴史家の中には、イスマイルがもっと賢明に投資し対外債務を避けていれば、20世紀のエジプトは「アラブの日本」になっていたのではないかと想像するものもいる。 マルクスが憂鬱とし、エマではとても印象的に描かれるロンドン万博のクリスタルパレス。 二人の恋はどうなるのでしょうか。 君みたいな女性は他にいなかった 僕はどうしても君と一緒にいたかった E.L.O/ロンドン行きの最終列車
エマ  全10巻 完結セット  (Beam comix)

エマ 全10巻 完結セット (Beam comix)

  • 作者: 森 薫
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2010/11/01
  • メディア: コミック
大いなる探求(上) 経済学を創造した天才たち

大いなる探求(上) 経済学を創造した天才たち

  • 作者: シルヴィア・ナサー
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/06/28
  • メディア: 単行本
ディスカバリー

ディスカバリー

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2013/03/06
  • メディア: CD

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