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[読書]仁藤敦史 卑弥呼と台与 倭国の女王たち

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日本史リブレット 人シリーズの一番最初の本となりますが、人物としての卑弥呼や壱与にはほとんど触れられず、主に倭国と魏・公孫氏との関係性について書かれています。これは資料が倭人伝しかなく人物像がよくわからないということもあるでしょうが、当時の倭国の状況について東アジアの状況の中で考えるという意図があるようです。 本書では邪馬台国は畿内であるという前提で話が進められていきます。これは当時の地理観として倭が呉の南方海上にあるという認識があり、そのために倭人伝の旅程がおかしくなったという説に則っています。このような誤った地理観があったため、倭は魏にとって外交上非常に重要な国家ということになり、そのために三国志東夷伝の中では倭の扱いが最も大きくなっていると推測されています。倭の風俗が南方系になっているのもこの地理観によるもので、あまり現実の描写ではないのだと考えられます。 この倭国を束ねていた卑弥呼ですが、魏以前には遼東の公孫氏と関係を持っていたことが推測されています。公孫氏は後漢皇帝から「海外の事」を委任される立場にありましたが、公孫氏は楽浪郡を通じて倭と関係を持っていたと考えられるのです。公孫氏が義に滅ぼされてすぐに卑弥呼が魏に使者を派遣していることが高く評価されていますが、公孫氏を通じて中国大陸の情報を把握していれば、こうした動きが可能であったのも不思議ではありません。 この本で初めて得られた見解は、卑弥呼が「共立」されて女王となった理由は、倭人伝に記されている「大人」層が小国同士が対立し争っていると共倒れになると考えた結果であるとしていることです。こうした場合のリーダーは女性の方が向いているということを「英雄たちの選択」で誰かが言っていましたが、そうなのかもしれません。調停を重んじるリーダーは戦争のリーダーとなる男性より女性が向いていた可能性は十分に考えられます。 そして、卑弥呼が魏から受け取った鏡は祭祀に使われていただろうとも書かれています。卑弥呼の宮殿には1000人もの侍女が仕えていたと言われていますが、こうした巫女的な人物を通じて鏡を全国に配り、統一的な祭祀を行っていただろうということです。それまでの祭祀は銅鐸・銅剣など地域性の強いものでしたが、際しを統一した点が卑弥呼の画期的な点であると評価されています。卑弥呼は「鬼道」を行うシャーマン的な女王と思われていますが、鬼道もこうした開明的な点があり、必ずしも未開な宗教のように扱うべきではないようです。 この本もそうですが、ここ最近邪馬台国を論じている本はほぼ全て畿内説に立ったものでした。纏向遺跡よりも有力な遺跡が九州から出てこなければ、九州説の巻き返しは難しい状況のようです。山川出版社の「詳説日本史研究」も考古学の知見をもとに、畿内説が有利と書いています。九州説の立場で読んだのは森浩一さんの「倭人伝を読みなおす」くらいでしたが、いずれにせよまだ決定的な証拠があるわけではありません。


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