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コリントの信徒への手紙Ⅱ 1章3~18節

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<神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えて下さいました。文字は殺しますが、霊は生かします。(4節)> コリントはエーゲ海とアドリア海を隔てる地峡(幅約5㌔)に位置するギリシャの都市。当時コリントは多くの文化が出会う中心地で、劇場、市場、神秘宗教の神殿のある都市として知られていた。癒しの神アスクレビオス、愛の女神アフロディテなどのギリシャ信仰の中心地でもあった。 「コリントの信徒への手紙Ⅰ」を記した後、パウロはエフェソを離れてマケドニア州へ向かうことにした。エフェソでの宣教活動は成功を収めたが、そのために反対者の妨害を受けエフェソにいることが難しくなっていた。 エフェソから陸路でトロアスへ、そこから船でマケドニア州へ入るつもりであった。しかしテトスとトロアスで合流する計画だったが、会うことができなかった。ようやくフィリピでテトスと再会し、パウロはテトスからコリントの共同体の状況について聞くことができた。 研究者たちはこの書簡がフィリピかテサロニケで58年の初頭に書かれたとし、この手紙をコリントへ届けたのはおそらくテトスであり、第Ⅰの手紙との違いは、この手紙はコリントの信徒だけでなく、アカイア州全域の信徒たちに宛てられた書簡であると考えている。 「パウロがコリント教会内の問題に対する意見を彼らから求められて書いたのが第Ⅰの手紙だと考えられます。しかしその後のコリント教会の反応が期待外れだったため、彼は『涙ながらの手紙』をも書き送ったと思われます。それは、この第Ⅱの手紙の10~13章だと思われます。そこには、大変厳しい言葉と同時に思いやりや期待も込められております。」と南牧師は説かれている。 コリントを訪れたパウロは、そこで最初の教会をたてた。しかし、二度目の訪問は「そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい」と記され、ある特定の人がパウロとその教えを攻撃し、そのため教会は混乱し、パウロにとって心痛むものであったと考えられる。 「パウロがここで言う文字とは『石の板』に刻まれた十戒(律法)を指しますが、パウロは『人の心の板』に刻まれる『新しい契約』に注目し、自分の役割を『霊に仕える務め』とし、人を生かし『人を義とする務め』とも言い換えております。」と南牧師は説かれている。 昨日は8.15集会に参加し憲法学者から憲法について学ぶ機会が与えられた。「憲法は国家(為政者、公務員)を縛るものであって、国民を縛るものであってはならない」その基本を国民が自覚せず、人権や自由についてあいまいなままを良しとしている。また、憲法を変えなくても曲解され実質的に変わっているではないかと一人一人に問題提起された。文字が変えられても、変わらない物を持つことの重要性をここでも知った。

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