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『インドの科学者』

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『インドの科学者』 三上善貴 2009/10 インドの科学者 頭脳大国への道 (岩波科学ライブラリー)  著者は長岡技術科学大学教授。 インド独立前後から活躍したインド人科学者についてまとめた本。  インド近代科学の父はチャンドラ(JC)・ボース(1858-1937)といわれる。JCボースは宗主国イギリスのケンブリッジで自然科学を学び、帰国後はカルカッタの大学に勤める。科学理論上の目覚しい業績はない。  同じ時期、天才数学者ラマヌジャン(1887-1920)が生まれる。ケンブリッジの数学者ハーディは「ガウスやオイラーに匹敵する」と評している。ラマヌジャンは数学以外に関心を示さず、カレッジの進級試験を2度落第している。ラマヌジャンはハーディに呼ばれて渡英する。しかし菜食主義のせいか、イギリス生活2年目で健康を害し、母国に戻った翌年32歳で没している。ゼータ関数で特筆すべき成果を残した。  インドでは海外渡航で身が穢れるという宗教上の考えがあった。この時期の渡英者はそのタブーをやぶっていた。こうした精神の自由の獲得が近代科学成立の条件だと述べる。  アジア初のノーベル賞はチャンドラセカール(CV)・ラマン(1888-1970)である。ラマン散乱のラマンだ。1930年にノーベル賞を受賞するが、インド独立前で英国人扱いだった。  ラマンより6つ年下にSNボースがいる。海外留学経験がないが、アインシュタインに認められ教授となった。ボース粒子(ボソン)、ボース・アインシュタイン分布のボースだ。量子物理学での目覚しい成果だが、ノーベル賞は受賞していない。  インド原子力開発の父と呼ばれるのがバーバー。トリウム燃料サイクルを提唱し、今も研究されている。57歳で飛行機事故で死亡している。  天体物理学者Sチャンドラセカール(ラマンの甥)は1936年渡米し、帰化した。後にノーベル賞を受賞する。以後インドから米国への頭脳流出が続く。米国のIT専門家の7~8割りはインド人といわれる。著者は、計算が得意だからIT大国になったという見方は間違いで、証明問題などに要求される道筋を立てる力こそが深く関っているという。  インドのことわざに、「書物の中の知識は他人のポケットにあるお金と同じだ。必要なときに用立てることができない」とある。


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