Quantcast
Channel: So-net blog 共通テーマ 本
Viewing all articles
Browse latest Browse all 53333

拙著『空海と日本思想』評(ゲンロンサマリーズvol.83)

$
0
0

ゲンロンサマリーズに掲載された拙著評です。 このメールマガジンは6月28日に配信終了しましたので、閲覧できなくなる前に、転載することにしました。 篠原資明『空海と日本思想』 ゲンロンサマリーズ vol. 083(2013年3月22日配信) 責任編集:東浩紀 いつもご愛読ありがとうございます。 東浩紀のゲンロンサマリーズは本を読んで力をつけたい人のためのメールマガジンです。 今回とりあげるのは『空海と日本思想』(篠原資明、岩波新書)です。イギリスの哲学者バードランド・ラッセルは西欧思想の歴史を「プラトンについての注」にすぎないと述べました。本書は、日本思想を空海についての注と見立ててプラトンと対比する意欲的な試みです。レビュアーは Book Newsの永田希さん。風雅を解さないという人にもおすすめの一冊です。 読むとさらに知りたくなる。5分でわかる要約とレビュー、どうぞお楽しみください。(河村) ─────────────────────── ◎ 5分でわかる要約とレビュー ─────────────────────── 『空海と日本思想』 岩波書店、2012年12月 新書判、256ページ ISBN 978-4-00-431400-4 C0210 定価:本体760円+税 ■ 著者紹介(本書より) 篠原資明(しのはら・もとあき) 1950年 香川県に生まれる。1980年 京都大学大学院博士課程修了。 専攻は哲学・美学。現在、京都大学教授。 著書に『漂流思考』(弘文堂、講談社学術文庫)、『トランスエステティーク』(岩波書店)、『五感の芸術論』(未来社)、『言の葉の交通論』(五柳書院)、『心にひびく短詩の世界』(講談社現代新書)、 『ドゥルーズ』『エーコ』(以上、講談社)、『言霊ほぐし』(五柳書院)、『まぶさび記』(弘文堂)、『ベルクソン』(岩波新書)ほか。 訳書に『開かれた作品』(エーコ、共訳、青土社)、『物語における読者』(エーコ、青土社)、『非人間的なもの』(リオタール、共訳、法政大学出版局)などがある。 ■要約 【プラトンと哲学の要件】 ・プラトンに始まるヨーロッパの哲学は、感性的経験と政治の2つの関連で論じられてきた。 ・ここでいう政治とは、美や善の欠如として感じられる「悪」、あるいは「自由の乱用」との闘いを指す。 【空海と「日本の思想」】 ・哲学におけるプラトンの役割を「日本の思想」にあてはめた場合、空海が浮かび上がってくる。 ・空海の思想はまず「風雅」を要件とする。 ・風雅は中国の『詩経』の分類から拡大解釈された概念である。日本では、詩歌だけでなく芸術全般を論じる際に使われてきた。 ・たとえば松尾芭蕉は、西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、そしてみずからの俳諧を統括するものとして風雅を捉えていた。 【風雅と無常観】 ・「人生は儚い」という考えが、「自然のすべてが同じように儚い」という無常観を経て「生成変化」へと繋がっていく。 ・それは、無常と自然がそのまま対応し、万物に大日如来がやどり、その万物をまた大日如来が包括するような関係である。 ・大日如来とは、万物の構成要素が密に集まった状態を指す。 ・「生成変化」の考えから、「自然」を友とする風雅を極めることは、すなわち大日如来にいたることだという宗教的感覚が生まれた。 【即身成仏】 ・空海は、「すべてが大日如来に通じている」なら、大日如来と同等の悟りの境地にいたるために自分を捨てる必要はない、と考えた。 ・自分がすでに大日如来になっていることを心から納得し、大日如来の境地に立ち至ること。これが空海のいう「即身成仏」の考え方である。 ・空海は、この思想を世に行き渡らせることによって世界を安定させることができると考えた。 ・これは、プラトンにおけるイデア、トマス・アクィナスにおける神、ベネデッド・クローチェにおける人間精神のように、感性的経験と政治とを関連付けるものだ、と著者は言う。 【和歌、自然、まつりごと】 ・三島由紀夫が「文化防衛論」で指摘したとおり、日本の「風雅」と「政治」は天皇の「和歌とまつりごと」を雛形としてきた。 ・しかし三島は自然を軽視していた。あらためて空海の思想のなかに天皇を位置づけることで、天皇の安定した求心力を実現することが可能になる。 ■レビュー 本書は「プラトンに始まるヨーロッパの哲学」の類型を「日本の思想」に見出そうとしたらどうなるか、という試みである。松尾芭蕉や、鎌倉時代の高僧だった慈円、千利休の師匠である武野紹鴎、明治の哲学者で『いきの構造』を著した九鬼周造、詩人の西脇順三郎や現代美術家の草間彌生らの名前が連想ゲームのように挙げられ、数式や図を用いたアクロバティックな思索が展開される。 本書の興味深い点は、「風雅」の概念に注目したところだ。日本の哲学におけるいわゆる「美」はヨーロッパ的なものであり、明治に輸入された美術の概念と捩れた関係を持ってしまっている。明治以前にも「美」という語はあったが、それは「うつくし」という表現でのみ使われ、芸術全般に適用されることはなかったという。詩歌から芸術全般に適用されてきた「風雅」を用いることで、著者はその捻れから距離をとろうとしている。美術の制作や鑑賞の際、あるいは自然の事象を体験するときに、このような風雅の概念を用いれば、明治以前と明治以後の感性を結び付けられる。 著者は哲学を、感性的経験と政治という要件および、その二つからなる「基本系」というモデルの変奏だと規定している。「美術的な制作と鑑賞」が政治と無関係だと思う人には、この「基本系」という考え方が分かりにくいと感じられるかもしれない。しかし、プラトンが試みたように、「感性的経験」と「政治」とを結びつけることの意義は大きい。本書は、プラトンの思想を、なんとか日本の文脈にあてはめようとするものとして評価できる。 近年「美しい国」や「クールジャパン」といったように、感性的経験を政治に利用する動きが活発になってきているが、いささか強引に、プラトンと空海を並べてまで著者が描こうとしたのは、国際社会で通用する新しい政治的な美学なのかもしれない。 ○要約・レビュー:永田希(ながた・のぞみ) 人文系・芸術関連(サブカルチャーからハイアートまで)・コミックの新刊を中心に紹介している「 Book News」(http://www.n11books.com/ )を運営。ライター。 ──────────


Viewing all articles
Browse latest Browse all 53333

Trending Articles