Quantcast
Channel: So-net blog 共通テーマ 本
Viewing all articles
Browse latest Browse all 53333

若者に再考を促す 

$
0
0

 最近、格差という言葉をよく耳にする。格差とは、資格・等級・価格などの格づけの差ということである。差とは違いや隔たりのことである。  人間は生まれたときから不平等であるから、当然のようにそれぞれに差があることは免れない。賢愚、美醜、反射神経や運動神経の発達、才能の有無、身長の高低、体重の軽重、性格、嗜好などすべてが違う。何一つとっても人間は同じにはできていない。  もちろん、たくさんの人が集まるとおおよそ平均的な像ができあがる。しかし、その平均的な像Aはある集団の中で平均的だというだけで、別の集団に移動すればAが平均的な像になるかどうかは分からない。移動後の集団では平均的な像はBかもしれないのである。  さて、資本主義の社会では収入に格差が付くのは当然のことだ。より多く働き、より多くの智恵を働かせ、より多くの利益を追求した人が、より多くの成果を入手するのは当然のことだ。このシステムが嫌であれば共産主義に移るしかないが、共産主義か失敗に終わったことは歴史が証明している。  一しか働かない人も、十も働く人も同じ成果しかえられないのでは、人間は誰しも楽をしようとする。より多くの成果が得られるという動機があって、初めて働く意欲が増すのである。こんなことは中学生でも知っている。  しかし、最近なにかというと格差社会になったとか騒ぐ連中がいる。日本は明治の御代から資本主義社会であった。戦後、民主主義が入ってきてから、疑似社会主義的社会になった。つまり、一億総中流の時代になったのだ。  格差が拡大したというのは、構造改革のせいでもなんでもなく、疑似社会主義的社会が崩壊し、本格的な資本主義に突入したが故に、格差が目立つようになっただけの話である。才能もなく努力もしないで、時間に縛られたくないだの組織に縛られたくないだのとご託を言う連中が、格差の拡大を指弾するなどとは笑止千万である。  時間を拘束され、組織に縛られ、多大な努力を重ね、持てる才能を発揮しさらに磨きをかけることでしか、それに見合った成果は獲得できないのである。そのようにして頑張ってみてもまだ格差があるときは大いに指弾すればよい。社会の責任だとか、会社が悪いとか、政府が悪いという前に、まずこのことを自覚すべきである。  また、人には生まれつきの差があることをちゃんと自覚することこそが、よりよい生き方に繋がるのだとはあまり誰も言わないようだ。  生まれつきの差は格差とは言わない。もちろん、お金持ちの家に生まれた場合と貧乏人の家に生まれた場合では、大いに差がある。しかし、出発点は貧乏人でも、お金持ち階級に所属するようになることはできる。ただ、上昇志向ばかりが尊いとも言えないだろうし、上昇志向がなければ奮起することもできない。  だから、よりよく生きるためには自分と他人の差に気づいて、どのように生きるのかを学生時代にでも考えて、今後の人生設計に取り組むことが必要なのだろう。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 53333

Latest Images

Trending Articles



Latest Images