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もうじやのたわむれ 306

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「ところで、せっかくこちらにいらしたのですから、・・・」  記録官が、今までずうっと後ろに回していた手を、おずおずと前に差し出すのでありました。その手には熨斗のかけられた小ぶりの紙函が握られているのでありました。 「ええと、それを私にくださるので?」  拙生は函の方に視線を移すのでありました。 「これは今回の事で、私共閻魔庁職員の至らなかったお詫びと、それからまあ、記念の意味で娑婆にお持ち帰りいただければと思いまして、お渡ししようと持って参りました」  審問官がそう云うと、記録官は恭しくその函を拙生の目の高さに上げるのでありました。 「ほう、何ですか?」  拙生は函を受け取って眺めるのでありました。 「いやまあ、全く大したものではありませんが、どうぞご笑納ください」 「これはつまり、冥土の土産、と云うわけですな?」 「娑婆で云う、冥土の土産、と云うのは、娑婆に居る老い先短い老人とかが、娑婆で思わぬ良い目を見た時に口から出る言葉でしょうが」 「まあ、一般に娑婆で云われる、冥土の土産、は正確には、冥土への土産、と云うべきでしょうかな。してみるとこれは正真正銘の、生一本の、冥土の土産、と云うわけですなあ」  拙生は感嘆するのでありました。「開けても大丈夫でしょうか?」 「ええどうぞ。本当に大したものではないから、がっかりされるかも知れませんよ」  審問官が気後れの苦笑いをするのでありました。  熨斗を丁寧に外して、拙生は函の蓋を開けるのでありました。中には白い紙に包まれた小ぶりの湯呑が入っているのでありました。 「ほう、湯呑ですか」  拙生は包み紙を取って湯呑に見入るのでありました。「これは確か、審問室で最初に日本茶をご馳走になった時の、あの湯呑と同じ物ですね?」 「そうです。あれと同じ物です」  白地に金色で、今現在は拙生の家の紋と同じ丸に下がり藤の絵柄が描かれている、かなり小形のものであります。これは時によって家紋を映し出したり、以前下水道の蓋なんかに描いてあった東京都のマークとか、へのへのもへじとか、ランベルト正積方位図法の世界地図とか、洋服のタグに描いてあるドライクリーニング禁止の表示とか、合気道錬身会の稽古着の袖のマークとか、兎に角、手に取る者の心次第でその絵柄をどのようにでも変化させる事が可能な、そんなさり気ない愛想をするところの不思議な湯呑でありました。 「こんなものを頂けるので?」 「ええどうぞ。まあ、観光地で貰ったお土産みたいな感じでお納めください」 「これはかたじけない事で。娑婆に戻ったら大切に使わせて頂きます」 「準娑婆省の逆戻りを差配してくれる向うの鬼に、閻魔庁で渡されたお土産だと云って渡して頂ければ、娑婆に戻った後、遠からず、何らかの方法でお手元に届くと思います」  審問官がそう手筈を説明するのでありました。 (続)

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