7.5点
宮城県名取市閖上地区。
3.11東日本大震災の時、津波到達が一番遅かった地域にも関わらず、多く被害者を出した。
津波による名取市の被害者のほとんどが、この閖上地区の方だという。
5000人ほどが住む地区で、700人以上の死者が出たという。
地震発生から、津波到達までの1時間10分間の間、人々が何をしていたのか、
何を考えていたのか、粒さな取材で、「何故人々は逃げなかったのか?」を問う本。
まず、1丁目~7丁目まである閖上地区の中で、住民の24%が津波により亡くなった
(他の地区は10~13%前後・・それでも多いのだが)2丁目の住民の方たちに取材をし、
震災直後の行動を聞いている。
2丁目は、3~6丁目よりも海から離れているのに被害者が多かったというのも特徴的である。
多くの人々は、揺れは大きかったが建物の崩壊などはなく、津波は来ないだろう、
来ても大きくないだろうと、家の片付けをしている最中に津波に飲み込まれたらしい。
専門家の話によると「人は避難したがらない動物」なんだそうだ。
日常生活で普段と違う事と出会うことは頻繁にあり、それに過敏に反応しすぎると、
生活に支障をきたしたりする。
そのため、異常な状態に直面した時、それを無視してしまう「正常性バイパス」という
メカニズムを持っているという。
しかし、真の緊急事態に直面し避難しなければいけない時にすら、
「たいしたことはない」と思いたがるこの機能が働き、避難しなかったりするという。
また多くの人が避難しないと、一人だけ大騒ぎしたり、率先して避難するのがはばかられたりも
するという。
危険を感じて避難した人の話の中には、平然と片付けをする人たちに、一緒に避難するよう声を
かけるのをためらったりしたという事や、声をかけても、危険性を感じてくれなかったという内容が出てくる。
以前、テレビで、知らない人10人ほどを会議室に集め、そこに煙が流れ込んで来たら?という
実験を行なっていた。
一人を除いては仕掛け人。
部屋に煙が充満し、危険な状態なのが明らかなのにも関わらず、他の人々が騒がないと、
被験者も同じように落ち着いて席に座り続ける人が多かった。
この心理はよくわかる。
人々が避難場所にしていたが、最後の大津波警報で告知された10mの津波
(最初の頃の予測は3mほど)には耐えられないと思われた公民館。
10mの津波の事を知った人間が、大声でもっと高台に逃げろと叫んでも、
そこに避難している人々の反応は鈍かったという。
叫んだ人、そしてそれを聞いた人の、その時の気持ちも取材で語られている。
また、親はこどもを心配する。
子供を心配した親たちは、子供がいる小学校や保育園などに向かう。
小学校が幸いにも高台にあったため、運良く助かった人々も多かったという。
小学校が低い場所にあれば、もっと被害は増えていただろう。
海に近い保育園は、園長先生が「怖がりだった」お陰で、「大きな地震の後は、津波が来る」という
想定の元、以前から避難の打ち合わせが行われており、迅速に園児たち全員の避難が
できたという。
「津波てんでんこ」という、津波が来たら自分のことだけを考えて逃げろ!という考え方がある。
確かに、家族を迎えに、探しに行った為に、津波にのまれた方も多い。
しかし、逆に、周囲の助けがあったからこそ助かった人も多い。
単純に「これがいい」と言えないのが、緊急事態の対応だ。
ただ、この本の中に書かれていたエピソードの一つは、とても複雑な気持ちになった。
近隣の独居老人を避難させようと、家に残ると言い張るその老人を30分以上説得し、
近所の夫婦も説得に加わり、やっと避難したが、すでに遅く、
説得した人の妻・説得に加わった近所のご夫婦、そして老人の5人が亡くなってしまったというケース。
最初に独居老人を説得した方だけが、津波にはのまれたが、運良く助かっている。
彼は、妻や近所の方を巻き込んでしまったことを後悔しているが、
もし、独居老人を見捨てても、やはり後悔しただろう・・と語っている。
閖上の場合、防災無線が震災と同時に壊れてしまった事も、被害を拡大させた一因らしい。
また、多くの方が、ワンセグでのテレビはもちろん、ラジオですら聴かなかったこと、
そういう行動をとってしまった要因についても書かれている。
緊急事態にどう対応すべきなのか・・・・は、その時々で違う。
そして、「避難したがらない、危険そうな状況でも、大丈夫だろうと思おうとする」という気持ちもわかる。
東日本大震災直後、その後どうなるかわからなかったけど、一度家に戻った後、
仕事のため、家からかなり離れたところまで車で出かけた自分。
大雨で前が見えないほどの時、見通しが悪い事の危険性や、道路が冠水したりしてる
可能性を考えつつも、車を走らせてしまう自分。
今までは、それで問題は無かったけど、それが命取りになるかもしれない・・と怖く思う。
でも、「危険→回避行動」がとれない・・・。
別の本で読んだ、別地区の話だが、津波で助かったある一家の話で、周囲になんて思われようと、
大きな地震が来た時は、必ず高台に逃げていたというエピソードがある。
その家庭のおばあさんが、昔、津波で家族全員を失ったため、それが家訓のようになっていたという。
被害がほとんど無かった、東京多摩地区に住んでいる方で、東日本大震災直後、
公民館のような集会所に、とにかく非難してかなり長い間そこにいた
(ほとんど人はいなかったと言ってた)という方もいる。
「万が一」の場合、このような行動が役に立つのだろう。
でも、やっぱり難しい・・・。
この本を読んで、緊急時の自分のとるべき行動、判断基準を、今一度考えなおしてみるのがいいと思う。
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