<イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。<1節)> 「12人の弟子たちは、主イエスと同じように、神の国の開始を言葉と業において告げなければなりません。業の中には奇跡も含まれます。なぜなら奇跡は『使徒のしるし』であり、これにより主イエスから全能を受けた者であることが証明されるからです。弟子たちはあらゆる土地に行きます。そうして主イエスは全ての人々を信仰の決断へと追いやるのです。」と河野牧師は書き出される。 「12」という数字はイスラエルの十二部族から来ている。「呼び集める」というギリシャ語は直訳すると「共に呼ぶ」。つまり神の召しは、ただ一人に対してだけでなく、わたしたちを「共に」招くのです。ここに教会の基礎がありますと解説書は説いている。 主イエスは神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり「旅には何も持っていくな・・・」と12人の弟子に命じられた。 弟子たちは神の国の福音による生き方を身をもって示すために何も持たず出て行き、ただ神がその時々の必要を満たして下さること信じ、そのことを人々に示すことが求められた。杖も袋もパンも下着も・・・と命じられている。 先日は教会の総会があり、長老、執事の選挙があった。最初に選ばれた人たちは、伝道に行き詰る教会は今までのような歩みではいけないと発言された人々であったが、仕事やボランティア活動で忙しい・・・と固辞された。結局選ばれたのは、昨年と変わらない高齢者ばかりであった。 体力もなく、頭も活発に動かない者たちばかり、主が必ずその時々に必要を満たしてくださると祈らずには前へ進むことが出来ない。この時の12人の中にはユダもいた。残るぺトロを含む11人は、最後の夜、逮捕された主イエスを見捨てて逃げ去ってしまうような弟子であった。 長老、執事の任に就いた者にも任職式が与えられ、より豊かな聖霊が注がれますようにと教会員すべてで祈る。そして、病気をいやす力、権能を授けられ、主が必要を必ず満たして下さることを信じて歩みだすのだが、そのことに不信を抱き目の前の出来事から逃げ出してしまう。 伝道は、立派な肩書を持って教壇の上に立って人々に教え諭す形では全くない。誰かと話すときその会話の中に、主が共にいて下さることを覚えることが先ず求められる。 主が悲しまれるような言葉を言うことがないようにと、思ってはいるのだけれど、悔いることの方が多い。 日曜日はお近くの教会で礼拝を http://www1.ocn.ne.jp/~church/japan.htm どなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。
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