新橋駅前の古本市で発見。
昔なら古本屋に行くと面白そうな本はホイホイ買っちゃったのですが、最近は単行本は「文庫版が出ていないか?」、文庫本は「Amazonで買えば1円とか22円とかじゃないか?」と思い直して滅多に買いません。何せ単行本は場所を取るし、古い岩波文庫なぞ店頭で300円で買った物がAmazon出店している古書店で1円で売ってるのがザラだし。 そんな中、初版が2012年10月10日の本書は300円で買っても大丈夫かな?最近の文庫にしては珍しく小さい活字がページの上から下までギッシリ詰まっている、半世紀以上前の本なら当たり前ですが昨今は岩波新書の新刊本ですら下半分は真っ白の大型活字本が当たり前ですからね、単価が高い気がするよ。文体と言うか言い回しも古めかしいので明治生まれの文学者が書いたものか? パラパラめくると元は雄山閣から単行本として出ていた物を文庫化したそうで、やっぱりな。「~の生活」シリーズかな?しかし今更雄山閣の文庫化ですか、ウチにも単行本が何冊かあるんだけどなあ。と思ったら全然違うよ、著者は私より4歳年上と言う戦前戦後の御茶屋遊びを懐かしむにしては若過ぎるんじゃないの?何でも学生時代から芝居が好きで大学卒業後は新橋演舞場に就職と言うその過程に登場する人物たちが例えば私が学生時代だったら全く接点無かったような人脈を駆使していてやっぱり只者じゃない。 本書は、昭和13年に雛妓(半玉:おしやく)になって戦前戦中戦後を新橋の芸者として活躍していた喜代さんと言う元芸者さんへのインタビューを中心に新橋芸者のそもそもと歴史を紹介しようと言う若旦那の道楽みたいな体裁ですが案外実用本だな。戦前の芸者なんて学歴で言ったら尋常小学校しか出ていませんが、それでも「頭の良い」「莫迦」なんて話が出てきて、ああ、今時は大卒や資格持ちの莫迦ばっかりと言うか学校で莫迦量産してるなとしみじみ思った次第。
つまり、喜代さんの言う頭が良いと言うのは気転が利くとか目端が利く人の事で、つまりは周囲をしっかりと観察して次に取るべきアクション、それもすぐ後だけではなく遠い将来まで思い及んで動く人を指している。本書でもさらりと触れるけど、若い人、と言ってももう70代後半より若い人は自分で気付いて心がけている人以外大体気転なぞ利かないなと。と言うのは、本書で著者や喜代さんが言っているのではないけど、学校で権利の事ばかり教えるから莫迦が増えると私は思うよ。 気配りや目配りは自己主張ばっかりしていると周りに関心が無くなるからムリだと思うんだけどねえ。そう言う気の付く人なんてのは因習的でダメ!とか莫迦当人が思い込んでいる以上正しくバカに付ける薬が無いなと、そうして大学まで進学したり資格の勉強を通して量産された莫迦が更にヘッドホンステレオやスマートホンで周囲の情報遮断しちゃうからもうどうしようもない。逆に気が付く人になれば莫迦を出し抜く事なぞたやすいので己の観察眼を鍛えれば重宝されて出世なぞ容易な世の中でもあるので、本書のように戦前の社会人の話を聞いたり読んだりするのはヒントになると思う。 喜代さんの話の端々にそんな利口さが見て取れるのですが、本筋は花柳界の歴史や風俗の話ね。江戸時代は吉原以外は全部モグリだったのが明治政府はバンバン許可を出した、日本の首都東京の、鉄道の始発駅と言う玄関口だった新橋に人の流れが集中して新橋は芸者の町としてあっという間に栄えたとか。それだけなら理由が弱い気がするけど、幕末の志士が寺田屋事件じゃあないが料亭で密談をしたり芸者の家に入り浸って政治談議をする事が多かったのが、維新後は志士がそのまま元老になって新橋の芸者屋で引き続き政治談議をしたからでは?と言う見立て。 ならば始発が新橋ではなく上野や東京になっても習い性で明治政府の偉いさんは新橋に来る、ならば財界人もそれに群がると言う流れが戦後もしばらく続いていたらしい。ちょっと昔の自民党あたりの政治家が何かと言うと料亭で密談すると言うのも幕末の志士辺りから連綿と続くしきたりだったのだなと思うと感心してしまった。なので平成元年に亡くなった芸者の葬儀委員長を五島昇が務めて、通夜の接待は新橋の料亭の女将たちがあつまった、なんて平成も20世紀中なら喪服に割烹着姿で走り廻る姿が見えたのかなと。 さて、喜代さんの生い立ち話では、器量の良い子は女衒が親に「芸妓にしないか?」とスカウトしに来たそうで。借金のカタに娘取られて、と言う金の流れではあるんだけど、子供の内から住み込みで芸能を仕込んで衣装類は芸者屋が全額丸抱え。なので現代のホステス同様に芸者も個人事業主なんだけど、住み込みで世話をしてもらっている以上は芸者屋が取って小遣い銭しか貰えないとか。とか言う仕組みを読んでいると今の芸能界とほとんど変わらないなと、お座敷でお客さん相手に芸を見せるのとテレビやネット視聴者に見せる違いだけ。明治時代にはもうブロマイドやグラフ誌があって、新橋の芸者だけど全国区で有名とか。 歌舞伎も明治時代の上客は芸者衆だった、なんて話もあって芸能界なるものが花柳界の発展したものなんだなと。戦前の芸者と言うと売春を強要されたとか暗い話ばかり今では強調されているけどそう言うのばっかりじゃないよ、今で言うと銀座のクラブや六本木のキャバクラと場末のピンサロを混同しているようなものだろうか?新橋も山手の婦人風にしてみたり芸術路線に走ってみたり、戦前の梨園や政財界重鎮のご内儀が案外元芸者と言う場合も多いとかでやっぱり芸能界だ。 それが昭和11年を境にすっかり変わったそうで、2・26事件の事なんだけど、以来自粛ムードで日本髪を止めて洋髪にしたり着物の裾を引かなくなって戦後も昭和11年2月25日以前に戻る事は無かったとか。と言うのは面白い話というか案外日本全体がそうじゃないの?官庁だってそれ以前はまあまあ資本主義の頭だったのが2・26事件で国家社会主義になってそのまま今日まで国家社会主義のままだし、昭和11年の前後で変わったものを調べたら面白いんじゃないかな?それと自粛ムードって戦前からやってたとは、これもある種日本の伝統だったか。