それでも幸福の科学大学に行きたい
幸福の科学大学「不認可」という、子供たちを襲った突然の悲劇―――。
入学を目指し、ひたすら努力を重ねた子供たちの姿と、それを支える母親たちの涙。
果たして文科省の判断は正しかったのか?
まえがき
1 果たして「不認可」は適切だったのか
2 幸福の科学大学でしか学べない学問がある
3 人を幸せにする仏法真理のチカラ
あとがき
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うーむ、
どう判断しても、公立の学校よりかは幸福の科学学園の方が桁違いに子供の教育に成功しているね。
要するに、文部省の行う教育よりも、幸福の科学 大川隆法総裁が行う教育の方が、子供は正しく育つという結果が出ているという事だな。
幸福の科学大学の認可を文部科学省がすること自体が、そもそも間違いであって、本来、文部科学省の方が、「子供の教育はどのように行うべきなのでしょうか?」
と、教えを請うべき立場にあるということだ。
人間とは何か?
ということについて、文部科学省は答えることができるか?
善悪はどう判断するのか?
ということについて、文部科学省は答えることができるか?
人生の使命と目的は何か?
ということについて、文部科学省は答えることができるか?
まあ結局のところ、こういった事を全く知らず、文部科学省も、審議会とやらも答えを全く持っていないのです。
もちろん、文部科学大臣なども、名誉心だけは人一倍強く、人から尊敬されたいと思っているのだろうが、外面だけ繕(つくろ)っても中身が伴わなければ、誰も信用したりしないだろう。
はっきり言って、
「魂や霊などない」
「努力しようがしまいが、死んだら終わり」
「子供は動物と同じ」
などと思っている教師に教わりたくはないものだ。
本来、すべての人間は、天国から生まれて来るのだが、そういった北京のスモッグみたいな教師に勉強を教わり続けたら、子供の心も、だんだんと地獄の想念で薄暗くなっていってしまう。
人間とは何か?
仏神の光によって創られた永遠の生命。
善悪はどう判断するのか?
仏神の心、光、性質が善の方向で、それに反するもの、考えが悪。
人生の使命と目的は何か?
自らの心を仏神に近づけていくこと。人々や社会の進歩、幸福に貢献すること。
などなど、子供の自然な疑問にストレートに答えるのが、本来の教師であり、先生という立場であると思う。
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