人生にはいくつもの分かれ道がある。
いくつもの分岐点でいくつもの選択を繰り返し、その繰り返しで人生が積み上がっていくのだと思う。
あの時こうしていれば……そう思うことは度々あるのだけれども、人生はやり直せない。
この前見た映画では、主人公が自分自身の過去に戻れるという設定で、失敗した! と思ったらその選択をした時点までタイムトラベルしてなんどもやり直していた。 だが、映画の中ではやり直したからといってよりよい結果になるとは限らなかった。むしろせっかく出会った彼女と出会わなかったことになっていた。似たような別の映画では、やり直す度に状況はひどくなっていくのだった。
そう考えると、選んだ道が、そしてその選択を失敗だったとおもったとしても案外よい方の道を選んでいたのかもしれないということだ。
大きな選択ではかなり悩む。悩んだ結果選んだ道に自身が持てなかったりする。一方小さな選択では割合軽くチョイスできて、その結果がどうあれさほど気にしなかったりする。だが、大きな選択だったか小さな選択だったかというのはあくまでも主観的なあるいは情緒的な問題で、ほんとうは違っているのかもしれない。つまり、大きなと思っていた方はどうでもよくて、小さなと思っていた方がとんでもなく重大な選択だったということもありえるではないか。
さていま僕はほんの小さな選択を迫られている。
晩飯を食べるのに、この先の突き当たりを右に曲がるか左に曲がるかという選択だ。右に曲がれば家に向かう方向で、いつもの店があるのはわかっている。 左に曲がれば家から遠ざかり、店も知らないという未知なる選択になる。
さあ、どっちだ? そんなものどっちに向かおうがお前の勝手だろ? たいした選択じゃないし。飯くらいどっちに向かってもいいんじゃないか? そう言われそうだ。
そうだよね。自分自身で納得しながら歩いていると、その分岐点にやってきた。ええい、今日は未知なる方向へ! ほとんどとっさに僕は角を左に折れた。そのとき、暴走トラックが左から突っ込んできたのだった。
了
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