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その後の読書(24)

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「ピーター卿の事件簿Ⅱ 顔のない男」 出版社の紹介文の内の、ジュリア・ウォレス殺しの部分 公表された資料のみを拠り所に現実の殺人事件を推理する、セイヤーズ版「マリー・ロジェの謎」ともいうべき興味津々な犯罪実話 ジュリア・ウォレス殺し 実在犯罪事件として英国では有名な事件だそうだ。 1931年、妻を撲殺したとして起訴され裁判にかけられたウイリアム・ハーバート・ウォレスは一般人(陪審員)によって有罪を宣告され、法律(控訴裁判所)によって無罪を宣告され放免された。 裁判の際、あとは評決を下すだけとなった陪審員に対して、判事は最後の要点説示を行ったがその論旨は無罪を暗に匂わすものだった。 どのような先入観も持たずに裁判に検察側と弁護側の双方から提出された証拠・証言及び双方によって行われた論告、それのみを基として有罪か無罪かを考えねばならないのだと。 「問題は、誰が犯人か、ではありません。問うべきは、はたして被告人がそれをやったのか、なのです」 どの証拠にも(被告を有罪とする)決定力がないことを如実に物語る要点説示を行った判事は、通例なら評決を下した陪審団に口先だけでも参道の意を表するところだが、判決を申し渡すに当たって、陪審員にいっさいのねぎらいの言葉はかけなかった、そうである。 セイヤーズは、裁判記録として残っている事柄と事件後の彼が書いた手記を述べている。 また、有罪・無罪の双方から見ての目でも述べている。 被告人は、法によって無罪放免されたものの、世間の目は有罪だった。 勤め先の保険会社は最初からずっと彼の無罪を支持し、職場に復帰させて新たな仕事を与えたが、世間的には疑惑が完全に払拭されたわけではなかったので、保険の集金係を続けることはできなかった。 結局、住んでいた町を離れ、隠遁生活を送らざるを得なくなった。 「釈放後、一年にわたってウォレスがつけていた日記には、以前の知り合いから相手にされなくなったことや、亡き妻への愛が書きしるされている。」とセイヤーズは書いている。 1933年2月26日、ウォレスは腎臓癌で亡くなった。    ----- セイヤーズがこの『ジュリア・ウォレス殺し』を書いた時には、彼が無罪か有罪かは不明のままであった。 巻末解説によれば、 ディテクション・クラブのメンバーによる著名犯罪事件の研究所(1936)に収められた もので、 初めは1934年11月6日付<イヴニング・スタンダード>紙に発表され、翌年Great Unsolved Crimesに収録されたエッセイに大幅加筆したもの だそうだ。 これを読んだ時、私には彼が有罪だとは思えなかった。 無罪であろうと思った。 セイヤーズも、この事件について意見を表明した推理小説作家たちも無罪と考えていた。 無罪であるなら、彼の証言は全て事実の筈だ。 事実であるならば、ウォレスは「クウォルトロウ」と名乗った人物によって犯人となるように嵌められた被害者であり、愛する妻を殺された夫であり、真犯人は「クウォルトロウ」と名乗った人物だと私は思う。 さて「ピーター卿の事件簿Ⅱ 顔のない男」の奥付は2001年4月27日初版となっている。 2001年5月25日に再販となっている。 巻末の解説には 被告人が無罪であることの決定的証拠が後に発見されている と書いてある。 日本にも裁判員制度が導入された今、この『ジュリア・ウォレス殺し』を裁判員の選抜対象となる人全員に読んで欲しいと思う。 被告人が有罪か無罪かの判断を下す時に、自分の感情だの願望だのをいっさい入れて欲しくないから。


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