『中国の歴史認識はどう作られたのか』 ワン・ジョン 2014/05
著者は雲南省出身の米シートンホール大学教授。 中国の愛国教育がどのように生まれたのか解説する本。
学歴のある中国の若者たちほど愛国心が強く、既存の権力体性を支持している。
現代の中国における歴史意識には、1800年代半ばから1900年代半ばまでの「恥辱の一世紀」が重くのしかかっている。中国人はこの期間を、中国が攻撃され脅しつけられ、そして帝国主義者たちの手でばらばらに切り裂かれてしまった時代として記憶に留めている。 この100年の体験は、中国の「選民意識=神話=トラウマ・コンプレックス」(CMTコンプレックス)の土台となっている。
中国が国民国家となったのは極最近、20世紀への変わり目頃。国民国家ではなかったのだから、ナショナリズムは芽生えない。アイデンティティは文化的なものだった。 中華民国の時代に、大衆レベルのナショナリズムが急激に勢いを増した。「国恥を忘れることなかれ(勿忘国恥)」という表現も、1915年以降に新聞を通じて普及した。
毛沢東の時代、党の指導部は「国恥」に関する「物語」を活用することはなかった。ナショナリズムは毛沢東の 国際主義=プロレタリアの連帯 と矛盾した。ナショナリズムは、そして愛国主義さえも「ブルジョワ・イデオロギー」として退けられた。毛沢東のメインテーマは「勝者の物語」である。毛沢東が日本の暴虐について沈黙した理由は、国民党に比べ共産党は抗日戦争にほとんど貢献しなかったから。南京には共産主義者が一人もいなかった。
文革を終えた中国共産党は新たなイデオロギーを提示できず、1989年の天安門事件へつながる。この事件後、江沢民の91年の指示で愛国主義教育キャンペーンが開始される。共産党政権の支配を正当化するためには、帝国主義に勝利を収めたことと、「恥辱の一世紀」を終わらせたことが欠かせない。そのため歴史教育で国民一人ひとりに帝国主義時代の苦痛と不名誉を追体験させる必要があった。このキャンペーンで、歴史の語り方が「勝者」から「被害者」へと転換した。 大学の入学試験では政治科目に中国近代史の知識を問う問題が必須となっている。こうして「国恥に関する教育」は全国の教育制度の中で、何にも増して重要な科目となったのである。
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『中国の歴史認識はどう作られたのか』
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