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使徒言行録 22章22~29節

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<パウロを鞭で打つため、その両手を広げて縛ると、パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってよいのですか。」(25節)> パウロの話をさえぎり人々は「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」とわめきたてた。ユダヤ人ではない千人隊長は、彼らがどうしてこんなに怒るのか、パウロが彼らを怒らせる何かをしたのかを知るため、彼を鞭でたたいて調べるようにと命じた。 ローマの1軍団は約6.000人で、10連隊に編成されていた。千人隊長はその連隊長で、百人隊長は連帯の6分の1、つまり100人を統率していた。両手を広げて縛るということは、背に棒を通して縛りあげ、全く無防備な状態で鞭を打たれるらしい、考えただけで恐い。 パウロを縛った百人隊長に、彼は自分がローマ市民権を持つ者だと告げる。彼は生まれながらの市民権を持ち、市民権を持つ者はローマ市民法により正当な裁判を受ける権利が保障され、判決に不服の場合は皇帝に上訴することもできた。 ローマが小さな都市国家だった時、ローマ市民とはローマ軍兵士を意味していた。彼らは普段は畑を耕し、戦争のときだけ出動していた。従軍できる者(奴隷は除く)は誰でも名簿に記載されるローマ市民であった。 こうしたローマ市民=兵士は、政治に参加する権利を持ち、法案に賛否の票を投じたり、最高司令官である執政官などの公職者を選んだりした。ローマは他の都市に戦勝しても併合することはなく、独立国に留めて同盟を結び、ローマ市民になることはなかった。それは、新参の市民による混乱を嫌ったからである。 敗戦国もローマ市民になるよりは独立を守り、ローマのために重い軍役を負わずにすむ方をとった。しかし、軍役が長く激しくなり金持ちのローマ市民が従軍を拒否し始めたため志願兵制度に移行し、ローマ市民権は「重荷」より「特権」としての性格が強まった。 千人隊長が「わたしは多額の金を出してこの市民権を得たのに」というとパウロは「わたしは生まれながらローマ帝国の市民です」と答えた。パウロの先祖はローマ帝国建設のために、ローマ市民として立派に義務を果たしてきたことが千人隊長に告げられる。 パウロの周りを取り囲んでいたローマ兵たちは直ちに手を引き、千人隊長も、皇帝に上訴する権利を持つ彼を縛ってしまったことを知って恐ろしくなった。


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