ど~も。ヴィトゲンシュタインです。 豊田 正義 著の「妻と飛んだ特攻兵」を読破しました。 6月に出たばかりの333ページの本書は、特攻関係の本を探していた際に見つけました。 終戦直後の満州で、ソ連軍に向かって夫婦共々特攻した・・という話ですが、 「写真でみる女性と戦争」のコメントで教えていただいた、ソ連の自走砲に 夫婦で搭乗して戦ったというヴェーラ・オルロヴァ中尉の件や、家族をドイツ軍に殺され、 「復讐の女戦車長」として散ったマリア・オクチャブリスカヤなどもありますので、 なんだか妙に気になって、早速、読んでみました。 主人公は大正12年生まれの谷藤徹夫。 勇猛果敢な会津藩士の家系ながらも、美しい顔立ちで体格も華奢と母親似です。 一方、2学年後輩には二瓶秀典という会津藩士の名家の少年もおり、 こちらは徹夫と違って運動能力と武道の力量は抜群といった具合。 昭和15(1940)年には東京の中央大学に進学したエリートの徹夫。 戦前の大学進学率は、わずか1%だったそうです。 本書は並行してドイツ、イタリアとの三国同盟や、 東条英機内閣が開戦に向かって行った経緯などがかなりシッカリと書かれています。 そんな情勢の中、右翼学生だった徹夫は徴兵検査に臨みますが、 身長159㎝、体重48㌔と痩せ細っていた彼は「第二乙種」にランクされて 不合格という屈辱を味わうのでした。 幼馴染みの二瓶秀典が13歳で仙台陸軍幼年学校に入学し、 エリートコースを歩んでいたのとは対照的。 しかしガダルカナル島などで惨敗した大本営は、航空戦力の拡充を図り始め、 陸軍の伝統である地上戦を指揮することに憧れ、士官学校での猛訓練を耐えてきた二瓶は 新たに創設された「陸軍航空士官学校」に転向させられてしまうのでした。 さらに東条の思想によって大学卒業生を飛行学校に入学させ、 短期間で徹底的に訓練することで高度な操縦技術と指揮能力を教え込める・・ ということから「陸軍特別操縦見習士官(特操)」が創設され、 新聞には「学鷲」、「陸鷲」といった勇ましい言葉が躍り、 合格しただけで曹長、1年後には航空将校になれる夢のような制度に、徹夫は合格。 一期生として福岡の飛行学校へ240名の同期生と共に入校するのでした。 そしてこの地で2つ年上の従姉弟ながらも、血の繋がりはない朝子と出会い、 卒業前の昭和19年7月に結婚。 この時の写真が、表紙の写真ですね。 B29による本土空襲が激しくなったことから、空襲のない満州国の飛行場が 飛行兵の拠点となり、新婚の徹夫は教官として、ひとり満州へ旅立ちます。 ここからは満州国の歴史・・といった趣で、中盤の100ページを割いています。 溥儀が満州国皇帝に即位する件など、映画「ラスト・エンペラー」を思い出しますね。 ちなみに溥儀を演じたジョン・ローンは好きな俳優でしたが、 その前に「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」という映画が公開された時には、 友達から「お前に似てるな」と言われました。。へっへ・・。 それから満州といえば「関東軍」です。 犬養首相暗殺の「5.15事件」、ソ連軍と激突した「ノモンハン事件」、 松岡外相がスターリンと結んだ「日ソ中立条約」、ソ連のスパイ「ゾルゲ」など、 様々なエピソードで当時の日本、ソ連、満州の状況を解説。 詳しい方にはこの100ページはウットオシイかも知れませんが、 これはこれでなかなか勉強になりますし、「関東軍」の名称が日本の関東地方のことではなく、 関東州(満州)のことなど、親切丁寧だと思いました。 そんな満州に降り立った徹夫。 昭和20(1945)年の正月を迎えても満州国は天下泰平を謳歌していて、 豪華な食料はたっぷり、ウィスキーにブランデーもたらふく用意されています。 しかし飢餓に見舞われている南方では、遂に「特攻作戦」が始まります。 12月7日にはマニラから「勤皇隊」の特攻9機が出撃。 駆逐艦「マハン」を見事、轟沈したのは、幼馴染みの二瓶秀典だったのです。享年20歳。 関東軍もメンツにかけて最強精鋭の飛行隊5部隊を特攻隊としてフィリピンに送り出しますが、 4月にもなると「軍神」として神格化された特攻隊が、さらに13隊割り当てられます。 熟練飛行士をこれ以上失いたくない関東軍は、半年前に来たばかりの 「特操一期生」を隊長に選出します。隊員には2期生、3期生、そして少年兵・・。 特攻機も陸軍が誇る一式戦闘機「隼」ではなく、 オレンジ色の複葉機「九三式中間練習機」、通称「赤トンボ」です。 「特操一期生」の徹夫は人選から漏れるものの、同期生と教え子たちを見送らねばなりません。 「自分も必ず後から行くからな」と固く約束し、苦悩するのみ・・。 故郷では新妻の朝子が日の丸鉢巻にモンペ姿で、「エイ、ヤァー」と竹槍訓練に励んでいます。 そして再編成で大虎山飛行場に移動した徹夫に、隊長は朝子を呼び寄せることを勧めます。 この時期、奇跡的に海を渡れた朝子と9か月ぶりに再会し、 将校用の一軒家で新婚生活を送り始める徹夫と朝子。朝の見送りは「投げキッス」。。 そんな蜜月も束の間、8月9日にスターリンの戦車5500両が満州国境を越えます。 恐怖に駆られた開拓民はその後の数日間で集団自決を繰り返します。 421人が自決した「麻山事件」以外にも、72人、43人と女性と子供が・・。 関東軍が降伏してからも、ソ連軍はやりたい放題の虐殺、暴行、略奪の限りを尽すのです。 男性はシベリア送り、女性は少女から70歳近いおばあさんも強姦・・。 妻が連れて行かれるのを見た夫が、「止めてくれ・・」と立ち上がった途端、「ズドーン」。 まさにベルリンと同じ惨劇が起こっていますね。。 こちらは ↓ 溥儀の玉座でポーズを決めるソ連兵の図です。 さらに大半が女性と子供の避難民2000名にソ連戦車14両が襲い掛かり、 2時間に渡って逃げまどう避難民を次々と轢き殺すという「葛根廟事件」を偵察機が目撃。 これを聞いた徹夫たちは「かならず露助の戦車隊を叩き潰す!」と激高。 しかし「赤トンボ」や、九七式戦闘機など稼働機は11機のみで、爆弾そのものすらありません。 T-34戦車を破壊することは無理でも、敵機の体当たりを受ければ心理的ダメージは大きいはず、 そして進軍を遅らせることができれば、慰留民が帰還する時間が稼げる・・。 こうして11機による特攻機「神州不滅特攻隊」が整列し、エンジンを始動。 すると突然、見送りのフリをしていた白いワンピースの2人の女性、 大倉少尉の恋人スミ子と、徹夫の妻朝子が日傘を捨てて、サッと乗り込みます。 群衆も気がつき、「女が乗っているぞ!」、「軍紀違反だ。飛行機を止めろ!」 非難の声が上がるなか、特攻機は積乱雲の中に消えて行ったのでした。 ノンフィクション作家の著者が2年半の取材の後に完成させたという本書。 元軍幹部は、「あれは命令による特攻ではないから、単なる自爆行為だ」と蔑み、 女性を同乗させたことは「軍紀違反」と非難。 そんなこともあってか、なかなか取材にも苦労したそうです。 情報や資料、当事者も少ないことから、徹夫と朝子の思いについては 著者の推測が多くなっている感は否めませんが、 白いワンピースも「白装束」をイメージさせますし、 個人的には納得のいくもので、特別、ロマンチックに展開させていることはないでしょう。 映画化されてもおかしくないストーリーですね。
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