「補佐官共は何処にいったんじゃい?」 閻魔大王官は審理室の中を見回しながら訊くのでありました。 「いやあ、実は閻魔大王官さんが小便に行かれた後、緊急事態が発生いたしまして、それで善後策を講じるために、今大車輪で飛びまわっておられる最中ですよ」 拙生は無表情に、呑気そうな口調で云うのでありました。 「何じゃえ、その緊急事態とは?」 「ええまあ、兎に角、緊急事態、でして、緊急事態以外ではないのですなあ」 拙生は閻魔大王官の権威を憚って、全く有耶無耶な云い方をするのでありました。 「何じゃな? よう判らんような口ぶりじゃが」 補佐官筆頭が閻魔大王官の権威に対して、閻魔庁の鬼達は恐懼しなければならないけれど、亡者はその限りではないと云っていた事を思い出して、拙生は一応、今後の閻魔大王官のためにも、その後の事態の始終をさらっと話しておいても構わないかと考えるのでありました。どうせ拙生はこの後娑婆に逆戻る事になるのでしょうから、後の事は忖度しなくても構わないと云うものであります。諫言と云うせめてもの置き土産、或いはもう少し正確な云い方をすれば、最後の最後っ屁、をかまして、颯爽と娑婆の方へ引きとると云うのも、他の亡者が滅多に為し得ない、なかなかに乙な仕業と云うものではありませんか。 「実はですね」 拙生は目の色にやや深刻さを加えて、閻魔大王官を遠慮がちに見るのでありました。「私はこちらの世に生まれ変われなくなって、娑婆に戻る事になったのです」 「ん、どう云う事かえ?」 閻魔大王官の拙生を窺う目がたじろぎの色を添えるのでありました。 「私の生まれ変わり地の裁決書類を、閻魔大王官さんは四つの箱の中の、地獄行きと書いてある裁決箱にお入れになりましたけれど、・・・」 「うんうん、それはお手前も確認したであろうよ」 「ええ。それが箱に入るのは私もちゃんと目視しました。しかしその後大王官さんも一緒に、皆さんで拍手をしてくれましたが、その時大王官さんは大きな嚏をされましたよね」 「おう、そうじゃったかいのう」 「そうじゃったのです」 閻魔大王官は自分の嚏については無自覚のようでありました。何かの折によく無神経に嚏をするものだから、どこで嚏をしたのか特に印象として残っていないのでありしょうか。 「そう云えば、したような、しなかったような。・・・」 「いや、されたのです。その時鼻水が出て、それを袖口でお拭きになったのですが、その仕草の折、袖が決裁箱に引っかかっておりまして、鼻の下を擦る腕の動きに連れてその袖も当然動いて、その作用で箱の中の私の裁決書類が文机の上に落ちたのです」 「あら、そうじゃったのかえ? 迂闊にも、ちいとも知らなんだ」 「そうじゃったのです。それで裁決書類は結局、文机からも落ちて見えなくなって仕舞ったのです。按配の悪い事に、その事に私の他にはどなたも気づかれなかったのです」 (続)
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