<それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。(30節)> エルサレムへと向かう船が地中海の島に立ち寄るたび、人々はパウロに「エルサレムでユダヤ人は、あなたを縛って異邦人の手に引き渡す。どうぞ行かないでください」と言った。けれどもパウロは、「わたしの心をくじかないでください。わたしは覚悟しているのです」と言った。 エルサレムに到着した一行は、ヤコブに挨拶に行くとそこには長老たちが集まっていた。パウロは自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われた事を詳しく説明した。これを聞いて人々は神を讃美した。 そして、キリスト教に回心した多くのユダヤ人は、皆熱心に律法を守っていることを告げると、「ユダヤ人はあなたが異邦人に『割礼を施すな、慣習に従うな』と言って、律法から離れることを勧めていると言って、あなたを捕まえようとしている。そこで、彼らの誤解を解くために・・・」と提案した。 それは、誓願が満ちた4人を連れて彼らと一緒に清めの式を受け、神殿に詣でることであった。 定められた清めの期間が終わる頃、エフェソからパウロを追って来たユダヤ人たちが神殿で彼を見つけ、全群衆を扇動して捕らえた。ユダヤの律法では異邦人は、異邦人の庭と呼ばれる区域以外は境内に入ることは出来ず、それを超えると処刑された。 人々は彼を神殿から引きずり出すと、神殿が血で汚されないようにどの門も固く閉じ、門の外で激しい暴行を加えた。その騒動は駐屯するローマのもとに届けられ、千人隊長や百人隊長が兵士を率いて駆け付け、パウロは死の直前で彼らの手に引き渡された。 「主イエスは、神殿を壊し三日で建てると言ったかどで告発され十字架に架けられました。ステファノは、神は人の手で造った神殿には住まないと言って殺されました。ユダヤ人にとってエルサレム神殿は神聖不可侵のものであったのであります。・・・こうしてみますと キリスト教にとってもユダヤ教にとっても、70年のエルサレム神殿壊滅が如何に決定的な出来事であったがわかります。これによりキリスト教はユダヤ教や神殿から自立した宗教となって行くのです。」と住谷牧師は結ばれている。
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