拝み屋(10)
「だいぶ参ってきたみたいね」
アカンさんに言うと、
「本番はこれからや、ゆっくり見とき」
と、また耳もとに口を寄せ、片目を閉じて見せた。
「わては神さんや。反省しいや~反省しいや~」
さっきとは別人のように、優しい声で囁き始めた。信也君は、その変わり様が可笑しくて吹きだしている。私もつられて笑ってしまった。
部長はクッションの下に頭を突っ込み、唸り始めた。
「このやろー、誰だ、出てこい!」
突然起き上がって、大声で怒鳴った。アカンさんは、〈反省しいや~〉を続けている。
部長は天井を見上げたり、窓の外を見たり、ソファーの下まで覗いている。アカンさんは、その間もずっと、喋り続けている。
「何を反省すりゃいいんだ!」
部長が根を上げそうだ。
「何でも知ってるでぇ、何でも知ってるでぇ」
アカンさんがそう言うと、部長は、謎の声と会話ができることに気づいたようで、
「知ってる? 何を知ってるんだ」
と、問い返した。アカンさんは、その質問には答えず、〈何でも知ってるでぇ〉を、しつこく繰り返している。部長は半ば諦めたように、俯いて何かを考え始めた。
アカンさんは、ようやく部長の側から離れ、私の横に座った。
「あぁ、しんど。ちょっと休憩や」
そう言って目を閉じた。
部長はしばらくすると、声が聞こえなくなったことに気づき、デスクに戻りパソコンをいじっている。そして、何本かの電話をかけた。どうやら、ネットで霊媒師を調べて電話をしているようだ。パソコンの画面には、怪しげなページが映し出されているのが見える。曼荼羅の写真やら、仏像の写真があり、ページの下の方に、霊障で悩まれている方は、今すぐお電話下さいとある。今日の午後に予約が取れたようだ。午前中は会議が幾つか入っているので、社内にいるのだろう。部長のことはアカンさんに任せて私たちは、絵里子のいるオフィスに行った。
見慣れた部屋に入ると、あちらの世界を思い出し、つい時計を見てしまった。確かに壁には時計が掛けられ、課長の後ろにはカレンダーも見える。私の机上は、入院する前と全く同じ状態で、しまい忘れた筆記具が出しっ放しで置いてある。絵里子は隣の席なんだから、少しくらい綺麗に片づけてくれてもいいのに、気の利かない女だ。
俊介の隣に立って、彼の仕事ぶりをまじまじと見つめた。勿論俊介は何も気づいていない。今日は、心ゆくまで俊介の横顔を眺めていられると思うだけで心臓が高鳴った。右に廻ったり、左に廻ったり、正面から至近距離で眺めた。いくら何でも、ここまでされたら、何かの気配を感じるんじゃないかと期待したけど、気づいた素振りは何も無い。いい男だけど、ちょっと鈍感なところがある。もう少し敏感な男だったら、あの夜の港で冷たい海にダイブする羽目にはならなかったと思う。わざわざ、ミネラルウォーターでむせる必要も無かったし、ブラウスにこぼす必要も無かった。俊介がもたもたしているから、結局あんなことになったのよ。退院したら徹底的に鍛え直してやるわ。俊介を睨み付けたけど、俊介は夢中になってキーボードを叩いている。仕事ぶりはいつも熱心だけど、今日の様子はいつもと違う。何をしているのか、モニターを見ると、ネットバンキングの出納を確認しているようだ。俊介の顔が悔しそうに歪んでいる。
「あの野郎!」
俊介が息を詰めるような声で言ったのが聞こえた。モニターの数字は、私にはよくわからないけど、何か大変なことになっているみたいだ。俊介は席を立って絵里子を呼び、一緒にモニターを見つめ始めた。私がいる時は、あんなに接近することは無かったのに、絵里子は俊介の頬に触れそうなほど顔を近づけている。あんたたち、もっと離れなさいよ。
「これって、どういうこと? 大変だわ」
絵里子は、他の社員に聞かれないよう、小さな声で言った。
「手の込んだことしやがって。貴子の言う通りだ」
俊介が吐き捨てるように言った。絵里子は何事も無かったように席に戻り、その後で二人は、時間差で給湯室へ入って行った。貴子の言う通りなら、俊介が部長にはめられているってことに違いない。発覚しない内に部長をとっちめないと手遅れになる。