初冬を迎え、寒さで微熱と咳の続く海斗。食欲も落ちて衰弱していく海斗に、ジェフリーは見守るだけの無力感に苛まれる。そんなある日、海斗に血痰を吐く大きな発作が起きる。ロンドンに肺病を治せる名医がいると聞き込んできたナイジェルは、ウォルシンガムの縄張りは危険だと譲らないジェフリーと激しく対立し、僅かな可能性に縋って密かに海斗を連れ出すが。
カイトのために取る行動が三人三様でたまりません。なかでもこの巻、ジェフリーの愛が深過ぎて、それでいて表面は静かで、きゅんきゅんします。冷静過ぎる行動が危うくて切ない。得た愛のことを噛み締めるジェフリーは、カイトが助かるならば、と行かせるのですが、残った彼を待ち受けるのは間違いなく過酷な前途。愛故にカイトの手を放すという行動をビセンテの時は、いい男だ、と思いましたが、ジェフリーはただひたすら痛ましく。
一時期やっていた「結核は治る病気です」というCMの言葉を胸に置きつつ、次巻にいきます。
「ただ居るだけなら必要ない。本当に助けて欲しいとき、手を差し伸べてくれなければ意味がないんだよ……!」
思わず声を荒らげたジェフリーは、途方に暮れたように自分を見つめているルーファスに気づいて、肩の力を抜いた。愚かしいことをしてしまった。彼に当たり散らしても仕方がないのに。
「悪かったな」
ルーファスは無言のまま、首を振った。
「解決できない問題にぶち当たったのは久しぶりなんだ。 何もできない自分が情けない」
再び首を振る水夫長に、ジェフリーは肩を竦めてみせた。
「慰めは結構だよ」
「そうじゃありませんや」
ルーファスは真っ直ぐジェフリーの目を見据えた。
「おかしらはカイトの望みを叶えていなさるでしょうが」
(ああ……)
ジェフリーはこみ上げる感情を隠そうとして瞼を閉じた。己れにできることは、たった一つだけ────本気で自分の命よりもカイトを大事に思うなら、元の世界へ戻っていく彼を黙って見送るしかない。それは判っていた。だが、自ら幸福に背を向けるということが、これほどまでに辛いものだったとは。
(サンティリャーナ、おまえはそれが最期の願いだと思ったから、カイトを手放すことができた。だが、助かると判っていたらどうだ? 元気になって、またこちらの世界に戻ってきたら?)
再びカイトを追い求めるに違いない。そうすることが彼にはできる。
だが、ジェフリーにはできない。
生きることは素晴らしい。それをジェフリーに教えてくれたのはカイトだ。愛する人と一緒なら言うことなしだが、事情が許さないときもある。寂しくて、心細くて、何のために生きているのか判らない日もあるだろう。だが、ある日突然、自分が生まれてきたのはこのためだったのだ、と思える日がやって来ないとも限らない。一瞬にして自分の世界が変わることがある────それが人生の醍醐味だ。もちろん、全く変わらないこともある。どちらに転ぶかは、生きてみないと判らない。幸福を願いつつ、辛苦に怯えつつ、常に胸をときめかせながらその日を待てばいい。どんな人生を送ってきたか、最後の審判を下すのは存在の不確かな神などではなく、自分自身であるべきだと、ジェフリーは思った。そうすれば、己れの生き方に責任が持てる。満足して目を閉じるためには何をすべきか、迷うことも少なくなるだろう。
「行ってこい」
ジェフリーはまだ幼さの残った頬を撫でた。この決断は間違っていない。カイトのためなら、ただ一つの愛を守るためなら、何を差し出しても惜しくない。彼が無事に自分の世界に戻っていくのを見届ける。誰にもその邪魔はさせない。
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