<宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。(31節)>
主の天使がファイリポに、サマリアをたってエルサレムからガザに下る道に行くようにと命じた。エルサレムからガザまで約81㌔、ガザはパレスチナ問題でよく登場する地名である。ガザの港にナイル川に続く航路があったのだろうか。
天使に示された道を行くフィリポの耳に、前を行く馬車からイザヤ書を読む声が入った。「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と天使が命じた。彼は走り寄り「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。
馬車には、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理している宦官が乗っていた。エチオピア人は異邦人であり、更に宦官は律法でユダヤ人の会衆に加わることが許されていなかった。彼らは教養知性が備わっていても、どの国においても蔑まれていた。
彼は遠巻きながら礼拝する事が出来た。そこで見聞したことを女王に報告しなければという彼が、興味を持ったのはユダヤの指導者が手にする聖書であり、十字架につけられた死者が復活したという人々の話であった。
フィリポは彼に、彼が読んでいたイザヤ書53章「彼は羊のように屠り場に引かれていった・・・」から説き起こして、主イエスについての福音を告げ知らせた。水のあるところまで来ると宦官は水を見つけ洗礼を求めた。
「この話は、フィリポと宦官の物語ではなく、神と宦官との出会いの物語のようです。・・・フィリポはむしろ受動的で、神と宦官が出会うための補助的な役割をしているにすぎないのです。・・・神は神ご自身が召そうとする者を召し出します。私たちはよき補助者に徹したいものです。」と松浦牧師は説かれている。
先日の日曜日、母に用事があった娘夫婦が4歳の子どもを連れて礼拝に顔を出した。めったに出席しないので「この難しい説教が2人に理解できただろうか」と心配だった。けれども松浦牧師の言葉にほっとした。あとは、神様が何とかして下さるに違いない。
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